第2回幕賓研究会まとめ 【新装版】真説「陽明学」入門

※ 本レポートは書籍の内容をまとめたものではなく、書籍を読み、参加者同士の対話の内容をまとめたものであるため、歴史的史実や著者の意図に削ぐわない内容がある場合もございます。ご了承下さい。

 

陽明学とは

陽明学とは、宗教とは違い、現世重視の、現実の人間社会に密着して、現実をより良くしていこうとするプロセスの中で、みずからを鍛え上げていく実学であり、すべての人々の心の奥に内在している「良知」を目覚めさせるための教えである。

思索することより、心の統治を重視し、真の不動心を養う。権威者の主張や教えや考え方などをうのみにして、柔軟性のない行動、画一的な判断をするのではなく、良知に目覚め、天理と一体となり、主体性を確立することが、自由への目覚めである。

 

立志と自得

人はまず、必ず聖人になるのだという志を立てなければならない。志とは、日頃から一念一念に天理を存するように努めることであり、これを心がけることによって、自分のうちに聖を宿すことができる。

そのためには、四書五経を学び、過去の聖人や賢人から学ばなければならないが、最終的には他者から学ぶという態度を克服し、自らの心(良知)に理を求めるという自得に至らなければならない。

『伝習録』中巻にも、下記のような文章があります。

「そもそも学は、自分の心に納得することを第一義としています。もし自分の心に問うてみて誤っているなら、その言葉が、たとえ孔子の口から出たものであっても、それを正しいとはしません(中略)心に問うてみて正しいなら、その言葉が凡庸な人の口から出たものであっても、それを誤りとはしません」

陽明は、絶対的な権威は自分の心(良知)にあるとし、主体性の確立の大切さを主張しています。

 

格物致知と心即理

朱子学では、「あらゆる事物に対して(格物)知識を極める(致知)こと」だとされているが、陽明学では、聖人の道は本来すべての人間の心に備わっており、外側(事物)を知ること以上に、「自らの心の中の不正を正し(格物)、良知を発揮すること(致知)」が重要であるとしている。

この考えが、心即理(心はすなわち理である)という思想につながり、朱子学との決定的な違いとなった。

 

知行合一

陽明学といえば知行合一だが、「知行合一≠言行一致」ではない。

「行動するためにはまず知らなければいけない」という朱子学的な二元論ではなく、「知行は一つであり、心に想った(知った)時点で、それは既に行ったことと同じである」という一元論的な観点が本来の知行合一である。

「知=良知」であり、すべては良知の働きから生じるため、万物を対立・分離させる思考が続く限り、全体性から孤立することになる。

 

事上磨錬

人の行為に善だけでなく悪があるのは、本来の純粋な心が私欲に覆われているためであり、その欲を取り去ることができれば、心(良知)が発揮され、自然と行動は善となる。

そのために、まずは「天理を存じて、人欲を去るために静坐を行うこと(省察克治)」

そして、静坐のような特別な時間(静時)だけ自分が整っていることや、嫌な雑事を避けて、どこか人気のない山中にこもって修養することではなく、日々の日常の中で、取り組んでいる一つ一つの出来事を通じて、心を錬磨していくことの重要性を説いている。

 

万物一体の仁

良知とは仁であり、「自分以外の人が苦しんでいたら助けたい」と思う気持ちが、人には備わっている。これを真誠測怛とし、他者の痛みを覚え、やむにやまれぬ神的衝動のような愛を発揮することであると規定している。自分と他者の区別を克服し、天下万民の困苦を救済するために、陽明は社会的な実践の必要性を促している。

 

心即理

心はすなわち万物の理(正しい道筋)であり、心と万事万物は一体である。心の中に宇宙の根源的な原理が含まれていて、心の内と外に対立は存在していない。

理とは、すべての心の中にあるものであり、それ自体が心でもある。事上磨錬を通じて、欲を去ることを行えば、外から何かを付け加える必要はない。

欲のない良知そのものの存在が聖人であり、それを実現していくのが心即理である。分析的な思考によって分断された世界を統合し、身体と心、人間と自然、人間と宇宙、我と汝の間という分離を無くし、人間性を回復することが、致良知(良知を致す)ことである。

 

致良知

良知とは、是非善悪を知る能力のことであり、仁義礼智の四つの徳のことでもある。良知に従って生きることで、それが仁になり、義になり、礼になり、智となる。この四つの徳を発揮して生きることが、依存から自立、迷いから覚醒への悟りの道であると説いた。

 

 

なぜ、陽明学が帝王学と呼ばれるのか

現在、調査中

 

幕末に陽明学が迫害されたのはなぜか

元々江戸時代は、朱子学中心であったが、理は自分の外側にあると見なす朱子学に対して、理を自分の内側にある(良知)と見なす陽明学によって、幕府の権威に靡かない人材が育つことを恐れた。

このような背景には、明治維新後急激な西洋化が進み、日本人本来の心や道徳が失われることを恐れた人々が、心学として陽明学を学んでいたことも関連する。日本の陽明学は、幕末という時代のうねりを受けて、日本独自の陽明学へと発展していった。

また、日本で陽明学が積極的に取り入れられた理由のに、王陽明が文武両道であったことも大きい。陽明学の持つ禅的な傾向と、日本の仏教や神道、武士道がうまく融合されたのである。