はじめに
幕賓については、『【新装丁版】現代の帝王学』p.301から327を読んでいただければ理解していただけると思います。
この記事では、現代の帝王学の内容を参考に、研究会なりの持論をまとめていきます。
幕賓の定義
幕賓とは、その帝王を心から好いてはいるが、官に使えて裃をきる窮屈さを嫌い、野にあって帝王に直言してくれる人物である。俗な言葉で言えば、客分、顧問、社外重役、パーソナルアドバイザーなどが該当する。(現代の帝王学より引用・編集)
幕賓とは一体どんな存在なのか。
わかりやすく説明するのであれば、ムーミンに出てくる「スナフキン」であり、風の谷のナウシカの「ユパ様」を思い描いていただければ、幕賓をイメージしやすい。
一流の幕賓たる2つの資格
一つめが、「胆識」を持つこと
二つめが、「浪人的風懐」である。
胆識とは、見識に裏づけられた現実処理の能力である。
志と知識を結びつけ、自らを鍛錬し続けることによって、道徳的・心理的判断ができるようになることが見識であり、見識に決断力が備わったものが胆識である。
要は、単なる知識人・アドバイザーではなく、自らの人生において数多の経験を積んでおり、机上の空論ではなく、自らの見識と胆力によって、具体的かつ効果的なアドバイスを行うことができる力が幕賓には求められる。
二つめの浪人的風懐とは、ひと所にとらわれず、旅するように生きる中で、時代の変化を肌で感じながら、教養・信念・胆識・器量を磨き続けている生き方そのものである。
この浪人的風懐が、一つめの資格である胆識を高めるために必要な要素であると言っても過言ではない。
それらしい理論を語るも一向に現実の問題が解決できないようであれば幕賓とは言い難く、今直面している問題に対しての本質を見抜き、どのように処理・解決してゆくことができるのかを、語るだけでなく、自らも取り組むことができて初めて一流の幕賓と言える。
孟子の言葉にあるように、「もし自分の志が世界に受け入れられるのであれば、その道を行い楽しむ。だが、志が受け入れられないのであれば、独りでも自らの正しい道を行っていく」というあり方が、幕賓としての品格である。
幕賓の5つの条件
① 浪人時代の交遊
浪人時代に、どのような人間と付き合ってたのかを観察する。浪人時代という、地位も肩書きもない、ありのままの存在であった時に付き合う人間がどのような人物であったかを見れば、その人の本質を垣間見ることができる
② 時と金を人材養成に使う
お金を手にした時に、どのようにその金を使うかを観察する。お金の使い方には、その人の人格が反映される。一流の幕賓は、私利私欲のためでなく、人を育てるために資産を使う。
③ どのような本を推薦するのか
その人が読んでいる書籍、その人が一目を置いている人物がどのような人物であるかを見れば、その人自身の教養やありようが見えてくる。
④ 物事がうまくいかないとき、どのように立ち振る舞うのか
物事がうまくいっている時ではなく、うまくいかない時にこそ人の本性は浮き彫りになる。幕賓は、そのような時も心穏やかに整え、自分を磨くことに専念していく。
⑤ お金に困ったとき、いかなる境地で生きるか
富に恵まれていようと貧乏であろうと、目的を忘れず、自らの道に生き、修養につとめることができるか。
まとめ
幕賓には、才(能力)と徳(人格)の両方が必要であり、言わずもがな、才があったとしても徳がなければ、幕賓にはなりえない。
混乱が大きい時、凝り固まった組織にこそ、社外重役としての幕賓が必要とされる。
自らを幕賓として修め続けるために、今後も幕賓の研究に勤しむ次第である。